生きがいはかわいい女の子

略して生女子(なまじょし)

ヒーリングっどプリキュア 42話

昨年、私の中でスタプリのルンちゃん愛絶頂の中始まった「ヒーリングっどプリキュア
1話から観てましたけど、良くも悪くも「普通」というのが41話までの私の感想でした。

しかし42話。
私の中でヒープリの価値が大きく変わります。
たぶん今後ヒープリを振り返った時ヒープリといえば42話と言えるぐらい。

ここまでのあらすじとしてはキングビョーゲン復活→ダルイゼン取り込もうとする→ダルイゼンのどかに助けを求める→のどか拒絶

で、42話。のどかが落ち込んでるわけです。
この時の私の予想は「助けるか助けないか迷っている」またはラビリンが言ったように「本当は助けたかったけどラビリンたちのために助けなかった」
おそらく視聴者としてもどちらかののどかの心情を思い描いたはずです。
だってここまで41話、約1年私たちが見てきた「花寺のどか」という女の子はとにかく優しく、他人の気持ちになって他人の悩みを察することができる、困っている人は絶対に放っておけないというイメージが定着していました。

私の予想はこうでした。
のどかなら助ける一択でしょ→のどかの優しさに触れダルイゼンの心情に変化→ダルイゼンのどかの中で浄化→めでたしめでたし
しかしそんな浅はかな私の予想は大きくハズレます。

ラビリンが聞いたのどかの本音は違いました。
「あの時…私…自分のことしか考えてなかった…」
ダルイゼンがのどかの中に匿ってくれと言ってのどかの手を掴みました。のどかはその手を払い拒絶します。その瞬間のどかは病気の時の苦しい日々がフラッシュバックしたのだと思われます。
病気の時の常に笑顔で前向きだった強い女の子というイメージも、本当は「強い気持ちでいないと負けてしまうから、笑っていないと自分がつぶれちゃうから」と強い言葉でかなりの無理をしてしたことを表現しています。
その上で今の自分を作っている大事な経験だったと理解もしています。
しかし、それでも「あんな苦しい思いは二度としたくない」
これがのどかがダルイゼンを拒絶した本心です。
のどかは「ダルイゼンを助けた方がよかったんだと思う」と、助ける=善、助けない=悪だと思っています。
「二度とあんな苦しい思いをしたくないという自分勝手な理由でダルイゼンを助けなかった」という罪悪感がこの時ののどかの悩みの正体です。
この罪悪感に対しラビリンは、「のどかが自分を犠牲にしなきゃいけないなんてそんな義理も責任もない」とほんとに子供向けアニメかと思うぐらい強い言葉でのどかを全力で肯定します。
この言葉でのどかは「助けない」という選択肢を確定します。
ただ、罪悪感は残っていると私は思います。

プリキュアとは正義です。
正義はたとえ相手が悪でも助けを求めてくる人は助ける。
悟空が助けてくれと懇願したフリーザにパワーを分け与えたように。
プリキュアとしての行動としては「ダルイゼンを助ける」選択肢が正しいです。
しかし私はこののどかとラビリンの選択になんの違和感、嫌悪感も感じませんでした。
それはなぜなのか。

プリキュアプリキュアである前に周りの子たちとなんのかわりもないただの普通の女の子である」というのが私の答えです。
当たり前だろと思うかもしれないですけど、例えば私たちがプリキュアの正体が普通の中学生の女の子だと知らず、どこからともなくやってきて悪をやっつける正義の味方としてのプリキュアしか知らないとして、そのプリキュアが助けてくれと懇願する敵を容赦なくぶっつぶす。
相手が悪であるにもかかわらず、私たちはそこに「冷酷さ」を感じると思います。
助けてくれと懇願するフリーザになんの躊躇もなくエネルギー弾で止めをさす。そんな悟空私は見たくありません。

のどかは心が強い女の子であるというイメージを勝手に持っていたら、「心の弱さもちゃんとある普通の女の子なんだよ」と言われた気がして、この42話のおかげで私の中でのどかの好感度が大きく上がりました。


…ただ、それでも違う世界線では「ダルイゼンを助ける」という選択肢を選んだのどかもいると思うんです。
その選択肢を選ぶのどかにもなんの違和感がないと思うからです。
その強さを持っているのどかも、間違いなくのどかなのです。
正直「プリキュア作品」としてはそっちのほうが正規ルートだったと思います。
今回まさかの「ダルイゼンを助けない」ルートを選んだのどかたちのエンディングを楽しみに待ちたいと思います。